・鶴岡聡(2004)『いっきに読める世界の歴史』中経出版. ・世界史の窓「アメリカ独立戦争」http://www.y-history.net/.

ニューイングランド植民地に最初に入植したヨーロッパ人はメイフラワー号によって渡来した102人のピューリタンとされています。彼らは「ピルグリム・ファーザーズ」(巡礼始祖)と呼ばれますが、乗員のうちそう呼べそうな人は41人にすぎず,他はイギリス国教会のメンバーだったそうです。, 上陸してのち翌年の春までに半数以上が病気などで死亡します。しかし翌年は先住民(インディアン)に教わったトウモロコシの収穫によって助けられ,のちに到着した4隻の船の人々とともにプリマス植民地を形成します。, アメリカでは彼らが「神話化」されていますが、上陸時に大げんかしたり、助けてもらった先住民を虐殺したりと黒歴史です。(´・ω・`), ピューリタンが組織的に北米に移住してくるのは1630年代で、ニューイングランド植民地が形成されます(現在のマサチューセッツ州、コネティカット州、ニューハンプシャー州など。東京大学で出題)。, この本によると、先住民と収穫を分け合ったとされる「感謝祭」が11月の第四木曜日に制定されたのは20世紀に入ってからで、理由には闇があるみたいです。, ピルグリム・ファーザーズという神話―作られた「アメリカ建国」 (講談社選書メチエ), 南部植民地の「美談」としてはポカホンタスの話があります。立ち入りませんがこちらも虚実入り混じって闇深そうです。, 17世紀に本国政府は北部に対して航海法を発布し、貿易の規制や一部の産業の制限を行ないますが、本国の経済利益につながるタバコや藍の栽培や、イギリス国籍を持つ植民地船舶の海運業は保護を受けていました。, また「有益な怠慢」と呼ばれるように厳格な取り締まりは少なかったので、北中部の商人は西インド諸島から糖蜜を密輸し、それをラム酒に加工してアフリカに運び、黒人奴隷を購入してプランターに販売して利益を得ていました。, フランスの北米植民地は毛皮取引が中心で、イギリスに追われた先住民と友好関係を結んでいました。ヨーロッパでの戦争ごとに北米では13植民地と先住民との衝突が繰り返されました(別回で解説)。, イギリスはついにフランスを北米植民地から駆逐しますが、戦費に加え新領土の防衛費がかさみます。それでその一部を植民地人に負担させようとします。糖蜜への課税を厳重にする砂糖法(1764年)はその一例です。, 一方13植民地は、イギリスが常時軍隊を置いていたわけではなかったので、平時は民兵を組織して先住民と対峙し、有事には本国から派遣される軍と協力しました。, その間植民地議会は予算や課税の権限を持つようになり、本国からの独立性を保持するようになります。フランスの脅威がなくなれば本国の軍隊に依存する必要はないのでより自治を求めるようになります。, 1765年の印紙法は、法律上・商業上の証書、新聞、パンフレット、はてはトランプや卒業証書にまで本国の印紙を貼ることを命じ、この収入で植民地防衛費の一部を得ようとするものでした。反対運動は植民地間の連帯意識を強めることになりました。, *細かい参考書だと「代表なくして…」はヴァージニア議会でパトリック・ヘンリが提唱して決議された、まで書いてあります。, 1773年に本国政府は茶法を制定し、茶の大量ストックに悩む東インド会社に植民地での独占販売権を与えます。格安で販売された茶は密輸の茶よりも安かったため、密輸商人の利益を侵害します。, そこでボストン市民の一部が先住民に変装して(「先住民のしたことだから仕方がない」という差別意識?)イギリス東インド会社の船を襲います。これに対して本国政府は強硬手段を取り、マサチューセッツ州を事実上の軍政下におきます。, 懲罰的な政策を一度認めてしまうと他の植民地の自治権も危しくなります。植民地の代表が集まって対策を練りますが、この時点では自治を求める意見が多数派でした。, こちらもテーマパークになっています。お茶を投げ捨てたい人はどうぞ。HISのブログ。, 南部に国王に近い人も多かったので和解を模索する動きもありましたが、国王ジョージ3世は植民地人を「叛徒」と決めつける宣言を出し(銀河帝国と自由惑星同盟みたい)、議会は植民地とのすべての通称を禁止する措置を取ります。, 1776年1月にトマス=ペインが『コモン・センス』を発表し、独立によって得られる利益がいかに大きいかを力説します。このパンフレットは発行後数か月で10万部を売りつくし、独立への流れが生まれます。, 7月4日には大陸議会が独立宣言を公布し、独立の正当性を訴えて独立についてためらっている人を独立派に結集させると同時に、諸外国からの援助を得ようと目論みます。, 南北戦争と比較すると明確です。独立戦争は植民地=正義、イギリス=悪、だから独立国アメリカを応援することは内政干渉ではなく外交関係だから正義です。, 逆に南北戦争では北部=奴隷制反対=正義、南部=反乱州(独立を認めない)=奴隷制賛成=悪、南部を応援するイギリスは内政干渉で悪、になります。, アメリカ独立宣言でよく引用される部分 番号、下線は筆者。上記のプリントの①~③に該当する箇所。この続きにジョージ3世の悪政が列挙されていて、「だから政府を取り替えてよい」という主張です。, われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、①すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。②こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったときには、③人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が 最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の 権力を組織する権利を有するということ、である。, ワシントンが率いる植民地軍は民兵と志願兵からなり装備も貧弱、訓練も不足していました。東部の森林地帯では「ミニットマン」(一分で駆けつける)がゲリラ戦を展開しました。, 植民地側がサラトガの戦いで勝利すると形成が逆転、フランクリン(凧を上げて雷を調べた人。よい子は真似しないで)の外交工作でフランスやスペインがアメリカ側に立って参戦、エカチェリーナ2世はイギリスの貿易妨害に対抗してデンマークなど五か国と武装中立同盟を結成しました。, フランスにとってアメリカの支援はイギリスへの「意趣返し」なのですが、この戦争に大金を投入したことがフランス革命の引き金になります。, 1777年の連合規約では中央政府の権力集中をおそれて連合議会に課税権を持たせず、戦後に経済不況が起きると他国との通商問題に統一的に対処することができませんでした。他方各州議会はデフレの中で戦時公債の償還のために地租を引き上げたので、農民たちは困窮します。1786年にはマサチューセッツ州で大規模な農民反乱が発生します。, 困った商人やプランターから統一中央政府の設立を望む声があがり、各州の利害が対立する中で合衆国憲法が制定されました。, 合衆国憲法の厳格な三権分立は近代民主主義のモデルのように言われますがの、それは「中央政府は必要だけど州の自治のために行き過ぎを防ぐ」というアメリカの歴史的事情が反映しています。二院制のうち上院は任期が長く人口にかかわらず州から2名で条約批准の権限があるのも同じ理由です。, 教科書の記述ではどうしてもアメリカ独立革命は「自由獲得の歴史」という観点になりがちですが、次の二つの視点も持ちましょう。, イギリス産業革命、アメリカ独立革命、フランス革命、ラテンアメリカ諸国の独立は、貿易や文化(啓蒙思想)で結びつきを強めていたこれら地域で、七年戦争を契機として同時期に発生した、自由主義的な一連の革命とみなすことができます。, イギリスは七年戦争で広大な植民地を手に入れ、取引されていた綿織物の自国生産を契機として産業革命が発生します。一方でその戦費等を13植民地に負担させようとしたことがアメリカ独立革命につながります。, フランスは七年戦争に敗北して財政が逼迫、アメリカ独立革命の支援がそれに追い打ちをかけます。新たな課税を嫌った貴族の抵抗が自由な商業活動を求めるブルジョワジーや負担に耐えかねた農民を巻き込んでフランス革命に発展します。, そしてふたつの革命の理念がラテンアメリカに影響を与えます。まずハイチで黒人奴隷が蜂起し、ナポレオン戦争でスペインの支配が緩んだ隙にクリオーリョが自立をはじめます。, 環大西洋革命の中心になるのは現地生まれの白人(フランスは新興ブルジョワジー)など、本国人や特権階級の前に権利が制限され不満を抱いている階層でした。革命は彼らの「下剋上」ととらえることができます。, アメリカ独立宣言の草案には黒人奴隷解放について明記されていましたが、南部プランターの反対で削除され、先住民は戦争でイギリスを支持したため、植民地軍は北西部で先住民を「討伐」します。, 独立宣言の「自由や平等」は独立戦争の正当性の根拠、いわゆる「ディスクール」(言説)です。ワシントンもジェファソンも家に帰れば多数の奴隷を所有しています。, 冒頭にあげたピルグリム=ファーザーズやワシントンら「建国の父祖」(この言い方にはジェンダーバイアスも感じる)を称える「建国の神話」も、白人支配を正当化するディスクールなのかもしれません。, ガンプが「等身大のアメリカン」ともてはやされるほど、「アメリカの矛盾」を体現する彼の隣人(シン・アメリカン?)がみえづらくなります。, フォレスト・ガンプ 一期一会 デジタル・リマスター版 [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray], 1 ピルグリム=ファーザーズ2 ヴァージニア3 フレンチ=インディアン4 ミシシッピ川以東ルイジアナ5 印紙6 代表なくして課税なし7 茶8 ボストン茶会9 フィラデルフィア10 レキシントン11 ワシントン 12 コモン=センス13 トマス=ジェファソン14 ロック15 武装中立16 ラ=ファイエット17 コシューシコ18 ヨークタウン19 パリ20 連邦21 三権22 ハミルトン, tokoyakanbannetさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog 義勇兵(ぎゆうへい、英: military volunteer)は、正規軍に所属せず、金銭的見返りを求めずに自発的に戦闘に参加した戦闘員を指す。 義勇兵は七年戦争の際のイギリスの民兵法(Bill of Militia)による募集(1757)が最初であり,強制徴募の国民兵militiamanの不足を補った。このほかヨーマンyeomanの子弟からなる騎馬義勇兵もあり,1907‐08年に一体化して地方軍Territorial Armyとなった。 Copyright © 2014 Revive Co. ,Ltd. All rights reserved. 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報, …軍の恒常的な構成員ではないが,個人の自由意志によって,一定の期間軍に服務する兵員をいい,このような制度を志願兵制という。これと対比するものとして,強制義務的な徴兵制がある(徴兵制度)。東側諸国と,かなり多くの西側諸国は,徴兵制をとっている。全志願兵制をとっている主要国はイギリス(1960以降),日本で,アメリカも1974年以降は志願兵制を原則としている。徴兵制をとっている国でも,志願兵制を併用している国が多い。…, …一般市民の自由な意志に支えられた社会的な活動,あるいは各種民間団体の自主的な活動が,広い意味でのボランティア活動であるが,より限定的には社会福祉を目的とする事業や活動をさしており,その活動を行う人をボランティアvolunteerといっている。ボランティア活動は,政策主体としての国家の活動よりも,市民・大衆の自発性にもとづく活動を高く評価するボランタリズムの思想に支えられており,個人の自由と独立を尊重する近代社会において出現し発展してきたものにほかならない。…. リバイブの解体費用・料金例について詳しく知りたい方はこちら|東海地区の解体業者:まごころ解体. アメリカ独立戦争は、アメリカ東部のイギリス13植民地が本国イギリスに起こした戦争です。この記事では、アメリカ独立戦争とは?独立前にアメリカ独立宣言!フランス参戦でイギリス大ピンチ!そしてフランス革命へ?を、順を追って分かりやすくまとめてみました。 No reproduction or republication without written permission. もともとアメリカにはスペイン、フランス、オランダといった西欧諸国が植民地を作っていました。そこへイギリスも参入し、オランダやフランスとの戦争の結果、アメリカ大陸の東海岸にそって13の植民地を手にすることになります。 この当時、イギリスは1755年から1763年にかけて行われたフレンチ・インディアン戦争のほか、多くの戦いによって財政が悪化していました。そこで手に入れた13植民地にさまざまな税を課して、立て直そうとしたのです。 それまでイギリス本国と比べると植民地への課税 … 戦後、インドネシアでは多くの元日本兵が独立戦争への功績を讃えて叙勲されている。 インドネシア残留日本兵が作った互助組織「福祉友の会」は、日本に留学する日系インドネシア人学生に奨学金を与えるなど、日本とインドネシアの架け橋としての役割も果たした。元残留日本兵は、毎年� 他にも個人的な義勇兵としてアメリカ側に立って戦った各国の専門家の存在も、戦争素人の集団であるアメリカにとっては大きな支援でした。 このようにアメリカ独立戦争は、全体ではイギリス対西欧諸国の戦争になっていったのです。 諸国の援助を受けたアメリカは徐々に優位を確立し、1781 ブログを報告する, すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ, こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る. ・島崎晋(1999)『目からウロコの世界史』PHP研究所. アメリカ独立戦争に参加したことで、ただでさえ財政難だったフランスは、さらなる財政悪化を招きました。この財政悪化を打開しようとフランスで三部会が開かれます。 この三部会で国王は、第1身分、第2身分にも課税しようとしましたが、貴族達に否決されてしまいます。そのため、第3

また、当サイトで提供する用語解説の著作権は、(株)朝日新聞社及び(株)朝日新聞出版等の権利者に帰属します。 | 休校中の自学自習プリント、今回はアメリカ独立革命についてです。 前回 bunbunshinrosaijki.hatenablog.com アメリカ独立革命 問:アメリカの独立は誰の何からの独立? ① イギリス系13植民地の成立…定住植民地。自治的な政治体制 北部…自営農民の自給的農業,商工業(漁業、造船業、海運業)の発… ©The Asahi Shimbun Company / VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved. 〘名〙 外国との交戦時に、徴兵によらないで自由意志により兵役に服する者やこれによって編制した軍隊。また、一般に、戦時に自ら武器をとって敵に対する者。, (私のThe Best!)時代に向き合い描いた画家 昭和のくらし博物館長・小泉和子さん. 株式会社ゆうちょ銀行および日本郵便株式会社が発行するプリペイドカード・デビットカード。国際的なクレジット決済ブランドであるVisaの加盟店で利用できる。年会費は無料で、満12歳以上(小学生を除く)のゆ... 「コトバンク」は朝日新聞社の登録商標です。「コトバンク」のサイトの著作権は(株)朝日新聞社及び(株)VOYAGE MARKETINGに帰属します。 そのアメリカが主権国家となったのは、1775年から行われた革命戦争を経て、1783年にパリ条約が締結されてからです。, 植民地だったアメリカがイギリスの支配から脱して独立国家となったこの一連の戦争は、それだけでは終わりませんでした。, 西欧諸国の王政を「解体」し、市民国家を「創造」するきっかけになった、まさしく王権からの独立戦争になったのです。, もともとアメリカにはスペイン、フランス、オランダといった西欧諸国が植民地を作っていました。そこへイギリスも参入し、オランダやフランスとの戦争の結果、アメリカ大陸の東海岸にそって13の植民地を手にすることになります。, この当時、イギリスは1755年から1763年にかけて行われたフレンチ・インディアン戦争のほか、多くの戦いによって財政が悪化していました。そこで手に入れた13植民地にさまざまな税を課して、立て直そうとしたのです。, それまでイギリス本国と比べると植民地への課税は軽かったため、本国の人々から不満の声が上がっていたことも、重税に踏み切った要因でした。, ただし、ただ課税されたことが反感に繋がったわけではありません。問題はそこに話し合いや事前の通達が一切なく、イギリス本国で決定した結果だけが押しつけられた点でした。, 砂糖に課税した1764年の砂糖法。印刷物全般に印紙を貼るように定めた1765年の印紙法。生活必需品に高い関税をかけた1767年のタウンゼント諸法など、次々と問答無用でかけられた重税に、植民地の人々は猛反発します。, 特に問題になったのは、経営が悪化していた東インド会社に対して、13植民地にお茶を売るときには関税がかからない権利を与えたことです。, 東インド会社のお茶が極端に安く入荷する反面、13植民地で栽培された茶にはタウンゼント諸法による高い関税がかけられたままでしたから、市場競争の上でとても不公平な課税といえます。, このお茶への関税が、決定的な事件を起こすきっかけとなりました。有名な1774年のボストン茶会事件です。一部の人々が、ボストン港に停泊していた東インド会社の船からお茶を盗み出し、そのまま海に投げ捨てました。, この植民地側の暴挙に対して、イギリスはボストン港を封鎖し、マサチューセッツ州の自治権を取り上げます。, 自治権の剥奪は13植民地には到底受け入れることができない処置でした。1774年にフィラデルフィアにて大陸会議が開催され、イギリスとの通商断絶の決議が採択されます。, そして1775年にレキシントンの戦いが起こり、ついに戦線が開かれることになりました。, ボストン茶会事件に対するイギリスの処置は、13植民地を従わせるどころか、逆に団結させ独立運動へと大きく踏み出すきっかけになったのです。, アメリカ独立戦争というと、一般的にはアメリカ13植民地とイギリス本国との戦いと思われてますが、実際には多くの西欧諸国が参戦しました。しかもアメリカ側に味方しています。, 当時イギリス軍は世界でもトップクラスの実力を持っていて、戦に慣れない民兵を中心としたアメリカ側は苦戦の連続でした。, その状況が変わったのが1777年のサラトガの大勝と、続く1778年のフランスの参戦です。イギリスの勝利を良しとしないフランスがアメリカ側についたことにより、独立戦争は英仏戦争の体を持つようになります。, さらに1779年にスペイン、1780年にオランダがやはりアメリカ側につきました。イギリスがアメリカに対して海上封鎖戦略をとると、ロシア、スウェーデン、デンマーク、プロイセン、ポルトガルが武装中立同盟を結成することで海上封鎖に穴を開け、アメリカ側の支援にまわります。, 他にも個人的な義勇兵としてアメリカ側に立って戦った各国の専門家の存在も、戦争素人の集団であるアメリカにとっては大きな支援でした。, このようにアメリカ独立戦争は、全体ではイギリス対西欧諸国の戦争になっていったのです。, 諸国の援助を受けたアメリカは徐々に優位を確立し、1781年のヨークタウンの戦いで勝利を収めることで、実質的に独立を勝ち取りました。, アメリカは戦争途中の1776年に有名な「独立宣言」を発表して戦い抜き、1783年のパリ条約で正式に独立を認められました。, しかし、アメリカ独立戦争が「解体」したものは、それだけに留まりませんでした。何より大きかったのは王政・貴族制から脱して、市民階級が権力をもった共和制国家を作り上げ、その実績を世界に知らしめたことでした。, 特にアメリカ独立戦争に大きくかかわったフランスは、もともと悪化していた財政が戦費によってさらに圧迫され、結果として国が破綻しフランス革命がおこりました。アメリカ独立宣言がフランス人権宣言に与えた影響も無視できないでしょう。, アメリカの独立はフランスだけでなく、ヨーロッパ各国や世界各地の植民地にも影響を与えました。世界的強国の1つであったイギリスから独立を掴み取ることによって、王政は絶対ではない、独立を勝ち取ることもできると実証してみせたのですから。, アメリカの独立は市民革命の先駆けであり、新しい共和制国家を世界に広めるための「解体」と「創造」の行程となったといえるでしょう。, 【参考文献/サイト】



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